私の底流

 家業を継ぐのがイヤで、高知に帰って来るかどうか迷っていた私の背中を押してくれたのは、作家で精神科医のなだ・いなださんだった。彼の奥さんが私のフランス語の先生で、とてもかわいがって下さり、市ヶ谷のご自宅にもお招きいただいた。ハーフの4人の娘達とも一緒にワインを飲みながらおしゃべりしたことが二度ある。

 「みんながみんな大企業や高級官僚をめざすのではなくて、田舎に家業があるのならば、志ある若者が地方で暮らすことそのものに意義がある。そして市民社会を下から支えてゆけば、世の中はずっとよくなる。」と、なだ・いなださんはおっしゃった。

 アナキストである彼に高校生の時から心酔していた私は、その言葉がとても腑に落ちた。アナキストは、建設的で前向きな反権威・反権力主義者だと私は思っている。そして高知にはピラミッド型の支配構造を嫌い、一人一人がそれなりの言葉で自己主張する、日本の中では珍しい風土がある。

 私の根っこにはそんな考え方が脈々と流れている。高知に帰って来てからは、生きる糧を得るために小さな商売をしながら、「市民参加のまちづくり」をテーマにしていろんな活動にちょっかいを出してきた。何もかも行政や政治家に頼って任せるのではなく、また、反対して文句ばかり言うのではなく、自ら動いて責任を取りながら街を創ってゆく。そんな市民の力を引き出し、鍛え、高めていく組織が育てばいいなあ、と夢想した。そうして、40才を過ぎた頃に数人の仲間達とNPO高知市民会議を立ち上げた。それが今では、地方では有数の市民活動の拠点となり、民主的な運営で、市民だけでなく、行政や企業からも信頼されて長く続いている。

 もう古希を迎える年になり、私の人生で何かを成し遂げた記憶はないが、このNPO高知市民会議の立ち上げに参加したことだけは誇れるキャリアであると自負している。

初代理事長 山 﨑 一 寛