腑に落ちる

体に例えた言い換えは多いが、尻は良い例えがない。「尻を叩かれる、尻に火が付く、尻に敷かれる、尻ぬぐい」。なんかネガティブだ。尻上がりが唯一ポジティブな言葉だろうか。

肩もよくない。「肩身が狭い、肩の荷がおりる、肩を落とす、肩をすぼめる」。日本人は重圧を肩で表現するようだ。その点、腕はいい。「腕を振るう、片腕となる、腕っぷしが強い、腕を上げた」。次生まれるなら腕に生まれたいものだ。

冗談はともかく、体の部位を使った表現で最もお気に入りは「腑に落ちる」だ。単純に訳すと納得するということだが、感覚的なもので心の底から納得するような感じだ。「頭では分かっているけどなんか腑に落ちない」とか「もやもやが晴れて腑に落ちた」とか。私の中でのイメージは理屈ではなく感覚的な部分で納得する。真実を理解するようなイメージを持っている。

ここからは頭=理論、腑=感覚に例えてみよう。

今の世の中、数字や理論がすべての頭中心の社会だ。ある書物で読んだことがある。頭(脳)は高度だが時に錯覚を起こす(3Dはその錯覚を利用したもの)。一方、腸は脳ほど高度ではないが錯覚は起こさない(騙されない)。悪いものが入れば確実に排出する。ちなみに中国漢方では「腑」は「腸」を表すらしい。星の王子さまは言いました「本当に大切なものは目には見えないものなんだ」。

頭や理論を否定する訳ではないが、理論派の人はとかくエビデンス(証拠・根拠)を求め、感覚を否定する方向にあるので、理論も感覚もどっちも大事という視点が必要だと言うことを言いたいのであります。また行政・企業・NPOの3セクターのうち、行政や企業は理論に軸足を置く。NPOまで理論のセクターに立つ必要はなく、社会の多様性という側面で見ればNPOは感覚や感性に重きを持つことに存在意義があると思っている。全部が頭(理論)のセクターとなっては世の中つまらないと思わない?

このコラムは腑に落ちた?それとも腑に落ちない?

 

理事 山﨑 水紀夫