高知という国

●いつも感じること・・・

龍馬空港や高知駅に降り立ったとき、体に纏うまったりとした安ど感は何事にも代えがたい。
先人がつくってきた空気と人が、圧倒的な“お帰り”感を出し心が躍る。
雄大な太平洋と奥深い森林のある絶世のくらしとふるさと感が、住んでこそわかる心身の健康感にしっくりと馴染むのである。

●そんな高知なんだが、近頃思うのは・・・

昨年度の観光客数が過去最高だったとか、クルーズ船寄港や台湾とのチャーター便就航に期待感満載だったりとか、一喜一憂する観光立県高知のバタバタ感は、卑屈で歪に妬深い自分の心には響かず、冷めた感さえ覚えてしまう。
そして、高知の数多ある燦然と輝く原石にも麻痺し、高知を離れていた20年間、一度も高知に帰りたいと思ったことはなかった。(なぜに帰ってきたかは言いたくない)
加えて、豊かな自然に恵まれた高知というフラッグを見ても、どの都道府県も同じようなことを言ってるだろうと歯牙にもかけない。

●高知のよさ・・・

ただ、ただ、ただ、なにげない住まう景色、朝、ゴミを捨てに行くときの透明感と清涼感、あたり前の町内での挨拶、変化のない生活環境だけど住んでこそわかる高知の普通のよさ。
1年、5年、10年、そして60年、噛めば噛むほどのスルメのような奥行きのある味わい深い濃い~感と絶妙なゆるさ感、それが“高知という国”だと思う。
余談だが、高知の市民活動もそんなところが見え隠れしていて、至極楽しく興味深く、感心するばかりである。

改め、なにが言いたいかというと、この年になってやっと、“いい土地に育ててもらった”ということだ。大変遅くなってすまぬ高知。

最後に、2024幸福度ランキング第11位、昨年度より微妙に下がっているではないか。なんとも微妙だな~。なぜに下がったのか。いずれ検証してみたい。

理事 四宮 成晴