「ボランティア」と「タダ働き」の違い

NPO高知市民会議はボランティアや市民活動を支援する非営利の市民団体です。でもそこに関わる私が「このボランティアってタダ働きだよね」と感じることがあります。善意のボランティアをタダ働きと言うなんてけしからん!って怒られるかもしれませんが、その善意に甘えすぎているかも?というのが私の自問なんです。

私はボランティアも市民団体も「自分で考えて動く」が原則だと思っています。ボランティアする人は何らかの意思がある、ということです。「私はこのボランティアで●●がやりたいです!」と自分の役割を主張したり、言われたことをやっているだけの人でも、実は「奉仕することに意味がある」と考えた上で実践していたりします。こうした意思のある行動がボランティアのあるべき姿だと思っています。

でも現実は、受け入れ側の都合(人員不足等)でボランティアさんのやりたい!を制限せざるを得なかったり、一回やってくれたからまたやってくれるよね!と流れでお願いしてたりする場合が割とあるんです。それが慣例になってくると、その活動がどんなに社会的意義があっても、それは仕事をタダで頼んでることになっちゃうなと私は思うんです。

なのでボランティアしたい人を本気で増やしていくためには、やりませんか!のPR強化に合わせて、受け入れ側の仕組みづくりも不可欠だと感じています。ボランティアさんのやりたい!をどうすれば実現できるか。どうすれば本音を聞き出せるか。仕事として依頼するにはどんな予算を確保すべきか。そんな仕組みづくりの動きが広がっていけば、高知のボランティア・市民活動は今よりもっと活発になると信じています。

と、なんか小難しいこと書いちゃいましたが、私がボランティアに関わったきっかけは、大学時代に他校の女子大生に誘われたというスケベ心からでした(笑)。でもそのきっかけが経験になり、自分で考えるようになり、今ではそれが仕事になっています。世の中おもしろいものですね〜。

理事 近藤 純次