二回目の新婚と市民活動の協働

今春、三女が就職で京都に戻る。
来る時が来た。妻と二人になる。

10年前、京都からUターンを決意。
しかし、京都で生まれ育った娘三人は違う。
ふるさとは高知ではなく京都。三人とも口をそろえて「京都に戻りたい」と言う。
そして、姉たちはためらいもなく京都へ旅立っていく。

そして、最後の三女も就職先を京都一本に絞り就職を決める。

妻と私が取り残される。
何年ぶりだろう、二人になるのは。
否応にも構えてしまいそうだ。

娘たちがいた、あたり前の生活を整理できるだろうか。
妻とどのように向き合っていくのか。
上手に絡まることができるだろうか。

がらんとした子ども部屋が3つ、机やベッドや教科書はそのまま。
広いリビングも落ち着かない、夫婦二人には広すぎる。

共通の話題が持てるだろうか。
いつも新鮮でいられるだろうか。
ドキドキ感は保てるだろうか。

自然に「おはよう」が言えるだろうか。
「おやすみ」「ありがとう」と言えるだろうか。
笑いあいながら買物に行けるだろうか。
いっしょにお風呂に入れるだろうか。
いっしょに旅行に行けるだろうか。

歳を重ねるごとに対話の時間は増えていく。
楽しく語り合っていけるだろうか。
一つの道を手をつないで歩めるだろうか。
それとも、パラレル状態になってしまうのだろうか。

市民活動団体の協働と似ている。
行政や地域との協働をみたとき「社会課題に取り組む、社会貢献をする団体」という肯定的な理解をしつつも、協働の相手となると、近づきつつも平行線を崩さない場合がある。

まるで子どもが巣立ったあと、ぎくしゃくしつつ世間体を崩さない仮面夫婦状態である。
そこに協働はなく協同、共同になってしまう。

老夫婦が手をつなぎながらお互いを心から尊重し、心から理解し、心から気遣い、心から敬う関係のごとく、市民活動団体と行政、地域がお互いを心から尊重しつつクロスし、絡み合い、スパークし、生涯続くべく新しいチカラが生まれたなら、これほど楽しいことはない。

こんな市民活動を目指していきたい。

もちろん妻とも。

理事  四宮 成晴